別に誰に頼まれたわけではないんですがw
毎年もとちょは元旦は家族と初詣に行きます。家から近くて大きい川崎大師様に行きます。川崎大師は関東では2番目(1位は明治神宮)に参拝客が多いんですが
元旦の朝10時くらいに行くと、ほぼ並ばず参拝できます!
今までは箱根駅伝を沿道で応援してから行ったり、2日の夕方買い物目的も含めていくと激混み!下手すると、参拝だけで「2時間」かかっていました。
が、さすが元旦の朝。空いております。5分並ぶか並ばないか。
川崎大師は元々は平家(源平合戦の)が網漁をしたところ偶然「弘法大師」の木像が網に引っかかったのを祭ったらしいです。
そういうところに毎年参拝して、両親が眠るお寺参りをして食事して帰る。がルーチンになっております。
で、翌日の2日は個人で神社に参拝です。
会社員や開運を込めて3年前から参拝している「日枝神社」へ。
場所は赤坂にあるんですが、昔は日枝神社の周りは何もなかったそうですが、段々と日枝神社の周りに高層ビルが建ち、土地価格も上がり商売がうまくいくというご利益があるそうです。
参拝で並んでいたら「小池百合子都知事」も参拝に来ました!
参拝客、ちょっとざわつくw
そして今回新たに願掛けに行ったのが
新宿(新大久保)にある「皆中(かいちゅう・みなあたる)稲荷神社」に行きました!
(なんかうまく画像が回ってくれないw)
皆中神社に何故行ったか?簡単に説明すると
天文二年(1533)九月二十七日稲荷之大神を神社に奉斎。
以来此の地の総社として鎮祭、新宿の発展と共に重要なる地位を与えられ由緒ある歴史をもつ神社として篤く信仰されております。寛永年間、徳川幕府が「鉄砲組百人隊」を(現在の新宿区百人町)に駐屯させてより「鉄砲組百人隊」は旗本や上下の士に篤く信仰され、また町名も百人町と名づけられました。
(百人町の由来)当時、鉄砲組与力が射撃の研究に精魂を傾けておりましたが、なかなか思うに任せず、一夜煩悶のまま眠りに落ち入りましたところ、稲荷之大神が夢枕に立たれ霊符を示されました。
翌朝不可解なまま社頭にお参りを済ませ、大矢場にて射撃を試みたところ百発百中、全て的中、見事な進境に驚いたとのことであります。
これを目のあたりに見た旗本の士が競って霊符を受け射撃をしたところ、みな百発百中的中したと伝われます。
この話しが、近郷近在に伝わり、唯射撃のみでなく様々な願い事をする参詣者が日増しに多くなり、不思議な神託霊夢など幾多の霊験あらたかなものがあり、世人はこの神社を「皆中(みなあたる)の稲荷」と称えるようになり、それ以後「皆中稲荷神社」と云う名で呼ばれるようになりました。
http://kaichuinari-jinja.or.jp/?page_id=213
皆中稲荷神社 HPより
早い話「百発百中」(よく当たる)ということで行きましたw
参拝も済ませ(ここが一番混んでいたw)絵馬に願掛けて来ました!
文字のバランスと字が汚いのはご愛敬w
絵馬の表は
当たるどころか矢が突き抜けております!w
今年は馬券の他に「舟券」も入れてみましたよー。
ということでここのブログを見ると「ご利益」がありますw
神様のチカラを借りながら、バンバン馬券や舟券が当たるように更新していきますので
改めて本年もよろしくお願いいたします。