モラルの面では紹介できないレジまぐ予想配信

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今季節の風邪はノドに来ました・・・。

もちろん熱発も発症したけど仕事は回避できず・・・w

まるで地方競馬のなんとかケアの馬の気分になっています。

 

前々には気づいていたんですけど

「あー、キツネさんのアイコン変わっているー。」

アイコンってレジまぐにとっては「看板」だと思うんですが

変えるということは何かしらあったのかなー?なんて思っていました。

改めて商品説明を見てみました。

 

 

 

 

ちっちゃく見難い!ってことで抜粋してみますと

工業大学を卒業時に皇帝ルドルフを管理していたミスタ-競馬のN平祐二調教師と親交を深め

島国競馬だった日本の馬が敵地でも世界相手に真っ向勝負できると熱く語り合い!

シンボリルドルフ、W田オーナー、N平師、O部騎手と共にアメリカへ同行。

「シンボリルドルフ、W田オーナー、N平師、O部騎手と共にアメリカへ同行」なんて

凄いなー!(文字なんて伏せなくても分かりますよね。)

1986年にシンボリルドルフがアメリカ遠征しているので

年齢からして少なく見積もっても50代半ばあたりの方なんだなー。とかはどうでもよくて。

そういえば、シンボリルドルフの競走成績が凄いのは知ってるけどそれ以外はよく知らないなー

と思い、Wikipediaで「シンボリルドルフ」を調べたわけですがそこに書いてあったのが・・・。

1986年、この年シンボリルドルフは海外遠征に旅立つことになるが、和田と野平の計画は微妙に異なるものであった。和田はまず春にアメリカ遠征に行き、それから秋にヨーロッパ遠征に行くという考えだったが、それに対して野平の計画は、春に休養させてから秋にヨーロッパ遠征に行くというものだった。この点をめぐって和田と野平の間に確執が起こり、結局和田の計画が実行されるも遠征に野平厩舎の関係者は帯同せず、調教から何からを現地のスタッフに任せる事態となった。また国外戦に和田は野平を招待せず、やむなく野平は一般観戦ツアーに参加する形で現地へ移動した。 Wikipedia参照

「国外戦に和田は野平を招待せず、やむなく野平は一般観戦ツアーに参加する形で現地へ移動」

 

和田氏と野平氏 

一緒じゃねーじゃん!!

(「シンボリルドルフ、W田オーナー、N平師、O部騎手と共にアメリカへ同行」)

いっしょどころか厩舎関係者すらも行ってないしw

野平氏なんか「一般観戦ツアー(一般客扱い)」で参加とか可哀想すぎる。

50代半ばのお父さんの割にはアイコンとかグラフィックが若いなーなんて思っていましたがねー。

その辺はどうなんでしょうねーw

っていうのがレジまぐの競馬予想の商品説明の「氷山の一角」ですが

それでも「プラス回収なら気にしない!」って方は個人の自由ですが

紹介する側の人(もとちょや他のブロガーさんたち)にはどうかと思いますがねー?

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